知り合いに「生き甲斐って何?」と聞かれて、言葉に詰まった。
振り返ってみると、ここ五年くらいは自分の体調と相談しながら「今日は働けるか、無理か」という駆け引きだけをして生きてきた気がする。
生きがいなんて考える余裕はなかったし、考えたこともなかった。
今すぐ思いつく答えがあるとすれば、「惰性で生きている」という言葉くらいだ。
正直に言えば、楽しいと思えることは何もない。
そんな状態で生きがいを聞かれても、答えが出るはずがなかった。
だから試しに、ChatGPTに相談してみることにした。
正直、何か劇的な答えを期待していたわけじゃない。
ただ、自分ひとりで考えるには、もう疲れすぎていた。
返ってきた提案は、「これが生きがいだ」と言い切るようなものではなかった。
むしろ、「今は生きがいがなくてもいい」「まずは生き延びていること自体を認めていい」という話だった。
その言葉を読んだとき、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
生きがいは、無理に見つけるものじゃなくて、あとから振り返ったときに「これだったのかもしれない」と思えるものなのかもしれない。
そう考えると、今の自分にできるのは、立派な答えを探すことじゃない。
せめて、今日をなんとか終わらせること。
それだけでも、今の自分には十分なのかもしれない。
とはいえ、気持ちが少し軽くなったからといって、現実が変わるわけじゃない。
明日になれば働けるかどうかを考えなきゃいけないし、通帳の残高も勝手に増えたりはしない。
不安は相変わらずそこにあって、生活は待ってくれない。
生きがいより先に、お金の心配が頭に浮かぶのが正直なところだ。
理想や夢よりも、「今月をどうやって乗り切るか」のほうが切実だ。
生きがいを探す余裕がない、というのは言い訳じゃなくて事実だと思う。
それでも、生きがいがないからといって、生きる理由がゼロになるわけじゃない。
働いて、食べて、寝て、また起きる。
その繰り返しを続けているだけでも、もう十分頑張っているんじゃないかと、最近は思う。
将来の不安は消えないし、先が見えない感覚も変わらない。
ただ、「何者かにならなきゃいけない」「生きがいを持たなきゃいけない」というプレッシャーだけは、少し手放してもいいのかもしれない。
今の自分に必要なのは、生きがいを見つけることじゃなくて、
生活を崩さずに、明日を迎えること。
その積み重ねの先に、もし何かを「生きがい」と呼べるものが残っていたら、
それで十分だと思っている。
たぶん、生きがいは急いで見つけるものじゃない。
それより先に、生活があって、不安があって、現実がある。
その中で今日もなんとかやり過ごしている自分がいる。
しばらくは、生きがいを探すというより、
「どうやって明日を迎えたか」を書いていくことになると思う。
働けた日も、無理だった日も、通帳を見て落ち込んだ日も、
たぶん全部そのまま残す。
これが何かの役に立つとは思っていないし、
読んだ誰かの答えになるとも限らない。
ただ、今の自分が現実の中でもがいている記録として、
しばらく書き続けてみようと思う。
生きがいが見つかったら、そのときはここに書く。
見つからなかったとしても、それも正直に書く。
少なくとも今は、それが自分にできる一番現実的な選択だ。
俺よりまともなブログを書くなよ。。。


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